9.04.2009

第45回


日時:9月4日(金)16:30〜
場所:立正大学大崎キャンパス4号館1階ゼミ室F
発表者:鵜戸聡
「ロートレアモンを読むカテブ・ヤシン——(悪)徳の詩学から生命の力へ」
発表者:田口麻奈
「「荒地」1954年の陰翳」


【発表要旨】
鵜戸聡「ロートレアモンを読むカテブ・ヤシン――(悪)徳の詩学から生命の力へ」
 アルジェリアの仏語詩人・劇作家・小説家であるカテブ・ヤシン(Kateb Yacine,
1929-1989)は、現代マグレブにおける最大の作家である。本発表は、そのテクストのイメージ分析を通して、彼の文学に於けるフランス語のはたらきについて論じる試みの一つである。植民者の言語としてのフランス語使用の問題(つまりポストコロニアル的観点から)はすでに論じたことがあるため
、ここではフランス文学との関わり、とくにロートレアモン伯爵ことイジドール・デュカスの『マルドロールの歌』との関連に特化して検討することにする

 しかし、作家間の影響関係をさぐる源泉研究をおこなうわけではない。カテブ・ヤシンが生涯にわたってロートレアモンを愛読した、という伝記的接点を口実に、そして切り口にして、ロートレアモンとカテブを併せ読み、もっぱら後者のエクリチュールの特徴を似て非なる前者のそれとの対比によって明らかにしようとするものである。
 怪異や悪徳をうたうロートレアモン的詩学が、カテブに於いていかように美徳に反転し、再生の「力=徳」としてエクリチュールに遍満するのか、それが議論の中心になるだろう。フランス語表現の作家であることは、(翻訳文学も含め)仏文学の蓄積というフランスの「文」の伝統に外部から参入してこれに寄り添い、あるいは破壊を加えつつ書くということにほかならない。そのとき、ことばは単なる道具であることを超えて、世界のマチエールそのものに転化するのだ。

田口麻奈「「荒地」1954年の陰翳」
1953年初から1955年にかけて、『荒地』の鮎川信夫は所謂『死の灰詩集』論争を展開する。その状況下で発表された詩篇「兵士の歌」が、詩に関する鮎川の原理論を当時の主流に向けて批評的に提示したもの
であることは、以前この会で(第21回、2006年6月)発表させて頂いた。1954年はその論争が昂進してゆくさなかであり、鮎川詩論の骨格を形作る重要な評論が書かれている。だが一方で、鮎川の詩において「特
殊なメルヘン調」の詩と評される「小さいマリの歌」や「可愛いいペニイ」などが発表されたのも同年のことである。初出誌である『荒地詩集』1954年版には、この二篇のほか、従軍体験に取材した病院船詩群や戦前の
室内詩篇が再録されており、作風において変化に富む詩群が並べられている点が興味深い。今回の発表では、前述の二篇の考察を中心に、54年版をひとつの指標として「荒地」と鮎川における1954年を考えてみたい。
詩における「私小説性」をテーマとした黒田三郎の評論など(同54年版)も、参照項に入れる予定である。