10.07.2011

第60回


日時:10月7日(金)17時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター、センター棟503号室
【個人発表】
田口麻奈「鮎川信夫〈病院船日誌〉の方法」
【著者セッション】
小平麻衣子『女が女を 演じる ;文学・欲望・消費』(新曜社、2008年)
書評者:木村政樹、司会:村上克尚

【企画意図】(村上克尚)
今年度のきむすぽは「2000年代の日本の文学研究」というテーマを設定しています。
6月の著者セッションでは、田口麻奈さんがコーディネーターとして、
荒井裕樹さんの『障害と文学』(現代書館、2011年)についての議論が行なわれました。
多田蔵人さん、生方智子さんのそれぞれに鋭い問題提起もあり、
藤井先生が後日ご感想を送ってくださいましたように、とても白熱した会になりました。
私の受け止めた限りでは、荒井さんが最も強調されていらっしゃったのは、
「文学研究」の想定する「文学」概念をどのように拡張していけるか、という点だったと思います。
この問題を継続して考えていくうえで、
小平麻衣子さんの『女が女を演じる』は、重要な示唆を与えてくれる著作だと感じております。

「あとがき」にもありますように、小平さんのご研究の重要な基礎を形成した場所として、
『メディア・表象・イデオロギー』(1997年)、『ディスクールの帝国』(2000年)を出版して、
日本の近代文学研究にカルチュラル・スタディーズを導入した明治三〇年代研究会があります。
実際、本著は「すでに文学史に登録されている作家や作品を、再評価または批判してみても、
なぜ多くの女性が長い時間文壇から排除されてきたのかを説明できない」という観点から、
「演劇、広告、医学的言説」にまで幅広く、透徹した分析を行なっており、
まさにカルチュラル・スタディーズのお手本と言って良いようなご著書であると思います。

さらに、私に重要に思えるのは(そして、この点も荒井さんのご関心と重なると思うのですが)、
本著が、ジュディス・バトラーのパフォーマティヴィティの概念を導入することで、
広義における「文学」の可能性を堅持しているように思えるということです。
つまり、自分に不当な抑圧を与える言説を、他ならないその言説を横領し、作り変える可能性、
そしてそれを多くの読者、観衆たちが分有し、各々のフィールドで活かしていく可能性、
この「文学」が持つ最も根本的な可能性についての信頼が、本著の中心にあるように思えます。
荒井さんのご著書もまた、脳性まひを患った方々が「文学」という理念を共有することで、
新しいコミュニティ、ネットワークを作り出していった歴史を共感をもって描き出していたと記憶しています。

以上のような物言いは、非常に素朴な文学主義のように響いてしまうかもしれませんが、
ただ、日本のカルチュラル・スタディーズが、おそらくはその紹介者の意図に逆らって、
全てを「記録文書」として平準化して捉えることで、社会学的方法に限りなく接近し、
その結果、文学研究のみならず、文学そのものの基盤を危うくしてしまう傾向と併走してしまう、
といった(少なくとも私にはそのように映っている)現在の状況において、
研究の強度を保つためにも、「文学」への意識ということは重要な契機であるように思えます。
本著では、「はじめに」において、次のような宣言がなされています。

 書く、あるいは演じるという日常的には不自然な行為を犯して、収まらない何かを意志化しようとした彼女たち。
 その彼女たちとの対話は、彼女たちから何かを汲み取り、研究主体自らが置かれた歴史的状況をも批判的に打  開しようとする強い願望から望まれるものでもある。〔中略〕だが、だとすれば、未紹介の資料を取り上げることを  もって、新たな事実の発掘や文学史の構築と呼ぶことが単純に過ぎることも確かだろう。従来の文学史が排除し てきたものに目を向けるほど、それらは文学の完成度から外れてみえるゆえに、飾りのない事実の証言のように もみえるのだが、そこには研究主体による創造的な読みが持ち越されてもいる。それを実証というとき、創造的な 読みは自由すぎる読みとなり、そこに生じるある種の無節操さに、どのような倫理的歯止めを設けるのかという課 題を残す。(22頁)

本著のこの宣言は、文学、そして文学研究に心を惹かれてしまう人間の出発点には、
自分があたかも歴史のメタレヴェルに立ったかのような全ての発話に対する違和感があることを、
改めて教えてくれているように思えます。
その意味で、テクスト論からカルチュラル・スタディーズへ、という粗雑な図式ではなく、
それぞれの研究が、どのようなテクスト論であり、どのようなカルチュラル・スタディーズであったのか、
ということを判断するための重要な契機を、本著の再読から得ることができるのではと思っております。

【企画内容】
今回は、本著についての報告を、東京大学言語情報科学専攻の木村政樹さんにお願いしています。
木村さんは、有島武郎を中心に大正時代の文学の状況をご研究されており、
きむすぽでは昨年の8月に「有島武郎の藝術家戦略」というテーマでご発表をされ、
その成果を今年の6月に「知識階級と藝術家 有島武郎「宣言一つ」論争」として論文にされています。
本著は奇しくも有島武郎の『或る女』についての言及から始まっており、
同時代をご研究されている木村さんからは、様々な論点を提出して頂けるのではと思います。
まずは木村さんと小平さんの応答を入り口とし、その後に教室全体で議論ができればと考えております。