9.21.2013

第74回

朝夕と涼しくなって参りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
さて、10月きむすぽのお知らせをお送りいたします。
今回は個人発表の二本立てとなります。
ぜひ皆さまお誘い合わせの上、ご参加ください。

第74回叙述態研
日時:10月4日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター、センター棟511教室
http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html
【個人発表】
飯倉 江里衣「東北抗日連軍と満洲国軍の中の朝鮮人―異なる植民地体験とつくられた敵対関係―」
牧 藍子(2012年度東大総長賞受賞)「元禄疎句の広がり」 

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【発表要旨】

飯倉 江里衣「東北抗日連軍と満洲国軍の中の朝鮮人―異なる植民地体験とつくられた敵対関係―」

 本報告では、日本の植民地支配下で朝鮮人の軍事経験がどのように培われたかを考察するために、1930年代以降の「満洲」(以下、満洲)における東北抗日連軍と満洲国軍の朝鮮人の経験について見ていく。1930年代以降の植民地下での朝鮮人による軍事経験は、満洲における中国共産党の抗日軍隊とそれに対抗する関東軍及び満洲国軍の中で培われた。朝鮮人が東北抗日連軍に入ったのは、中国共産党の組織の中で抗日闘争を行わざるを得ない境遇に置かれていたからであり、朝鮮人が満洲国軍に入隊したのは、社会的上昇手段が限られていた植民地下の朝鮮人に、ある種の幻想を抱かせた側面があったからであった。また、彼らは朝鮮人が朝鮮人を「討伐」し、東北抗日連軍の朝鮮人と朝鮮人民衆との関係を断ち切る
「匪民分離」政策という、日本の軍事戦略の下で軍事的敵対関係に置かれた。
 満洲国軍の朝鮮人指揮官が朝鮮人パルチザンの「討伐」を行った経験は、「匪民分離」政策の成功体験として、また朝鮮人民衆を味方につける政治闘争の勝利の体験として、植民地解放後の韓国軍の中で生かされた。このような満洲国軍出身者が植民地解放後に及ぼした影響を明らかにするためには、日本の植民地支配期の満洲で軍事経験を経た朝鮮人のパルチザン「討伐」経験に注目する必要がある。


牧 藍子「元禄疎句の広がり」 

    連句形式を基本とする俳諧の歴史の中で、付合が親句から疎句へと移った元禄期は、一つの大きな転換点にあたる。しかし、この元禄疎句の実態については、未だ十分に解明されていない。
 「梅に鶯」「月に雁がね」のような、語と語の固定的な連想関係によって、前句に付句を付ける親句とは異なり、疎句では詞の関係を直接の契機とはせず、前句全体に付句が調和するように付けられる。本発表ではまず、元禄期に作られた俳論書、付合手引書、連句作品等を用いて、元禄疎句の最大公約数的な性格を「うつり」を切り口に論じる。従来蕉風の付合手法として特別視されてきた「うつり」は、実際には元禄俳壇全体で希求されたものであり、「うつり」の語は元禄疎句の合い言葉のように用いられていた。
 一方、付合手法という観点からは同じ方向性を持つ元禄俳人の間でも、具体的な作品を分析するとその作風には違いがみられる。今回は元禄俳壇の主流である上方の当流俳諧師と江戸の蕉風俳人を例に比較を行う。故事を繰り返し用い、雅俗の落差によって滑稽さを生み出す手法がマンネリ化した時代、卑近な日常の中に和歌の伝統美に比肩しうる美を見いだそうとした芭蕉らに対し、上方俳諧師たちや彼らが相手にした大衆作者層は、当代語彙を多用することで俳諧性を追求している。

9.03.2013

第73回


まだまだ暑い日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
さて、9月きむすぽのお知らせをお送りいたします。
今回も参加しやすい18時開始となっております。
ぜひ皆さまお誘い合わせの上、ご参加ください。

73回叙述態研
日時:96日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター、センター棟414教室
http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html
【個人発表】
村上克尚「戦後家庭の失調――小島信夫「馬」の政治性について」
村上陽子「又吉栄喜「ギンネム屋敷」試論」

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【発表要旨】

村上克尚「戦後家庭の失調――小島信夫「馬」の政治性について」

小島信夫は、五〇年代半ばに家庭の問題への関心を表わし、「第三の新人」という範疇に分類されてきた。しかし、小島の家庭への関心は、政治的な領域からの撤退を示すのではなく、むしろ家庭の領域と政治の領域との不可分性の意識に支えられている。「馬」(当初は「家」と「馬」として発表、共に一九五四・八)という奇妙な家庭小説は、戦後に民主化されたと言われる家庭が、実際には男性を社会に奉仕させる一方、女性を家に囲い込むという仕方で、なお「主人」の論理を保存していることを示す。この「主人」の論理は、同時代の国家の「主権」をめぐる軍事的な論理とも共犯関係にある。登場人物の「僕」もトキ子も、このような「主人」=「主権」の論理に違和感を持っているが、家庭は親密な愛
情の場でなければならないという思い込みから、この論理に従属している。しかし、愛情の証として始められた家の増築は、まるで二人の潜在的な欲望を反映するかのように、馬という異質な他者を呼び込んでしまう。この馬は、「主人」の威容を支えるための「動物」であったにもかかわらず、そのような機能に還元されない単独的な生を生きることで、「僕」とトキ子の家庭を次第に失調させていく。馬に敗北する「僕」の姿は、異質な他者を排斥する「主人」の論理から、異質な他者を迎え入れる歓待の論理への移行を象徴しているように思える。そして、もしこのような読みが可能なのだとしたら、小島の小説に、父=治者にならねばならないという倫理を読み取ろうとする江藤淳の『成熟と喪失』が提示し
たパラダイムは大きく修正されねばならないだろう。

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村上陽子「又吉栄喜「ギンネム屋敷」試論」

 一九五三年の沖縄を舞台とする又吉栄喜「ギンネム屋敷」(一九八〇年)は、沖縄戦の中での朝鮮人軍夫や「従軍慰安婦」を描いた希有な作品である。沖縄人、朝鮮人、米軍人、二世兵士など、さまざまな立場の人間が交錯するこの作品は、第四回すばる文学賞を受賞したものの、わかりにくいという批判を受けた。そのわかりにくさは沖縄という土地において朝鮮人をめぐる記憶が正当に聞き取られ、記憶されることの不可能性と強く結び付いていると言える。

物語の枠を揺るがし、こぼれ落ちる声や記憶を「ギンネム屋敷」はどのように描こうとしているのか。本報告では、抑圧され、忘却されてきた〈他者〉としての朝鮮人の記憶が召還され、語られる過程において、新たに発動されてしまう暴力や聞き捨てられていく声について考えていきたい。

村上陽子(東京大学大学院)