10.26.2013

第75回

秋深まる季節となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
さて、11月きむすぽのお知らせをお送りいたします。
今回は山口直孝さんをお招きした著者セッションになります。
書評担当の木村政樹さんが、力のこもった企画趣旨をお寄せくださいました。
ぜひ皆さまお誘い合わせの上、ご参加ください。

第75回叙述態研
日時:11月1日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター、センター棟502教室
http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html
【著者セッション】
山口直孝『「私」を語る小説の誕生――近松秋江・志賀直哉の出発期』(翰林書房、2011年)
書評者:木村政樹(東京大学大学院)



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【企画趣旨】
今回の著者セッションでは、山口直孝氏の『「私」を語る小説の誕生――近松秋江・志賀直哉の出発期』を取り上げます。本書では、日露戦争後の文学状況の変化のなかで、「「私」を語る小説」がいかにして成立したかという問題が、近松・志賀の小説の詳細な分析とともに論じられています。
著者のいう「「私」を語る小説」とは、「作家が自分自身を主人公兼語り手に設定した小説」のことです。これは、日比嘉高氏が『〈自己表象〉の文学史――自分を書く小説の登場――』で用いた、〈自己表象テクスト〉という概念との関係で位置づけられています。日比・山口両氏の概念は、従来用いられてきた「私小説」という語に代えて作られたものです。このような用語が改めて提示されなければならなかった理由は、本書のなかで述べられているので省略しますが、ここには「私小説」研究の分野に限定されない問題が含まれていると思われます。
そのひとつは、「文学史」という物語をめぐる問題です。「「私」を語る小説」という言葉を用いることは、既存の私小説起源論によって紡がれてきた物語を相対化する、有効な手段となりえます。本書の前提には、事後的に成立した価値観を過去に投影し、「結局自分自身の似姿を過去に探すことにしかならず、そのためにそこで起こる事態は合わせ鏡のような堂々めぐりでしかない」(日比前掲書)ような歴史記述に対する、明確な批判意識があるのです。
もうひとつは、過去の文化状況や文学作品を、いかに理解するかという問題です。「「私」を語る小説」の検討に際しては、同時代のテクストが持っていた、より細かな特徴にも注意が向けられています。たとえば、「旅を取り扱った作品」「書簡体小説」「日記体小説」などです。そうした内容・形式に関わる要素が現象として把握されるとともに、特定の小説の分析の際にもその点が留意されます。このように、周辺テクストの発掘とともに微細な表現にまでふみ込んだ考察では、(異)文化を理解することの倫理が絶えず要請されると考えられます。
以上二点の具体的な実践がなされているという意味において、本書は「私小説」研究、ないし個別の作家研究における達成に留まらない、文化・思想をめぐる諸学問領域において考察されるべき課題が提出されていると考えられるのではないでしょうか。本書をもとに、叙述態研究会に集まる多様な関心をお持ちの方々にとって、有意義な対話がなされることを望みます。書評は東京大学大学院博士課程の木村政樹が担当します。