3.24.2014

第77回



第77回叙述態研 

日時:4月4日(金)16時から 


場所:国立オリンピック記念青少年総合センター、センター棟506 
http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html 
【個人発表】 
渋谷百合絵「宮沢賢治「雪渡り」論―《伝承》の再構築をめざして」 
田口麻奈「堀田善衞『若き日の詩人たちの肖像』論」 

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【発表要旨】 

渋谷百合絵「宮沢賢治「雪渡り」論―《伝承》の再構築をめざして」 


  日本の伝承・民間信仰において、狐は極めて特殊な位置を占めてきた。『日本霊異記』をはじめとする、狐と人間の異類婚と特異な力を持った子供の出生を語る説話や、狐憑き/狐に化かされたといった類の民間伝承や昔話、稲荷神信仰など、ここで改めて確認するまでもないほど、狐は古来、超常現象を説明する論理の根幹に据えられてきた存在であるといってよいだろう。明治以降、狐は次第にその地位から追い落とされていくことになるが、永井荷風「狐」に見られるように都市/近代科学を越えた怪異の残滓として、あるいはそれだけに一層ユートピア的地位を創作の世界で獲得していったとも考えられる。 
  異世界への憧憬を極めて論理的・合理的な文体で描こうとした大正期童話においても狐は格好のモチーフであり、西洋・中国の昔話・童話の再話作品が大勢を占める中、狐が登場する日本の昔話の再話/翻案作品は、『赤い鳥』系統の童話雑誌に数多く発表されている。 
  岩手で独自の創作を行った宮沢賢治の童話にも、狐は重要なモチーフとして繰り返し描かれている。特に「雪渡り」(『愛国婦人』大正10年12月・大正11年1月)は数少ない生前発表作であり、円熟した大正期童話運動と賢治作品との僅かな結節点であるという点において重要な作品であるといえる。 
  本作はこれまで、狐の子どもと人間の子どもの交歓の喜び、その詩的情感の美の描かれた作品と読解されてきた。しかし、本作のなかに織り込まれた伝承世界の狐のイメージや、狐の子ども達が開催する幻燈会が、明治中期から大正期にかけて実際の教育の場で担っていた役割を検討していくと、狐と人間との新たな関係をめぐる差し迫った事情が背後に揺曳していることに気づく。 
  本作は大正期に確立された童話表現を、まさに物語の主意に沿うように生かすことで、狐と人間の友愛の物語という読みに読者を誘導しながらも、その背後に同時代的な文脈や現実的な問題を忍ばせる、特異な作品構造を有している。本発表ではこうした童話表現の効果に留意しつつ、作中に描かれたモチーフの解読作業によって、賢治が確立しようとした新たな《伝承》を解き明かすことを目標としたい。 


田口麻奈「堀田善衞『若き日の詩人たちの肖像』論」 


  堀田善衞『若き日の詩人たちの肖像』(新潮社 
一九六八・九、初出は「文芸」一九六六・一~一九六八・五)は、堀田自身とほぼ同じ出自・境遇に設定された主人公が、富山県・伏木から上京して学生生活を送り、召集令状を受け取るまでを描いたものである。 
  現在、堀田に関しては、時代ごとに発揮された鋭敏な国際感覚と、その素地を用意した上海体験とが注目を集め、その点に高い評価が与えられている。一方、堀田が国際文化振興会の一員として上海に渡る以前、つまり『若き日の詩人たちの肖像』で描かれるところの学生時代に関しては、世界的な動乱に直面する以前の〈芸術至上主義〉的な時代とされ、本作はその時期の堀田のあり方を示す資料として断片的に参照されてきた。または、自伝的小説(従ってモデル小説)としての性格が注目され、戦前の文学青年たちの真摯な青春を活写した群像劇として位置づけられてきた。 
  しかし本作は、そういった同時代を横軸として描くだけでなく、主人公がある一つの思念を中心に問いを深める帰趨を縦軸のひとつとして導入している。それは、本作のタイトルにも掲げられる〈詩人〉のあり方をめぐる問いである。〈冬の皇帝〉(モデルは田村隆一)や〈良き調和の翳〉(モデルは鮎川信夫)の詩に接した際の主人公が、その都度、彼らに及ばないことを自覚し、「詩人は詩人であるにしても、詩をつくるのはあまり向いとらんかもしれん」と自己評価するくだりに端的に表れているように、本作は、詩作の有無や巧拙に関わらず、ある抽象的な価値観を託す形で、主人公の同時代人を〈詩人たち〉と指称しているようだ。 
  本発表では、小説全体のプロットを視野に収めた上で、これまでトータルに考察されてこなかった本作の〈詩人〉論としての射程を導出してみたい。 
  (なお、本作は結構な長編ですが、論の枠組みというよりは、読解の成否について、色々とご意見賜りたく思っております。どうぞよろしくお願いいたします)