11.15.2016

第90回

すっかりご無沙汰しておりますが、皆さまお元気でお過ごしでしょうか?

さて、運営の側の環境の変化で長らくお休みを頂いておりました研究会ですが、12月より再開できる運びとなりました。
詳細は以下の通りです。

なお、研究会終了後には忘年会を企画しております。
ご都合に応じまして、忘年会よりのご参加でも歓迎いたします。
皆さま、どうぞふるってご参加ください。
構造主義のかなたへ-『源氏物語』追跡-藤井-貞和



第90回 叙述態研
日時:12月2日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟303
【個人発表】
野上亮:「ある地方文学者の実践と挫折ーー岩下俊作『富島松五郎伝』と直木賞」
【著者セッション】
藤井貞和:『構造主義のかなたへーー『源氏物語』追跡』笠間書院、2016年7月

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【個人発表要旨】
 本報告は,岩下俊作『富島松五郎伝』とその作品をめぐる直木賞選考に焦点を当て,労働者出身の地方文学者,岩下俊作が試みた小説における文学実践および,それが巻き起こしたインパクトについて述べることを目的とする。
 岩下俊作は,小倉工業学校在学中から詩作を中心とした文学活動に傾倒し,劉寒吉らとともに詩誌『とらんしっと』を発刊する。そこで,目指されたのは,生活や労働に根差したリアリズムである,「汎力動詩」であった。やがて,小説創作を志した岩下は,ある一篇の小説を書きあげる。それが『富島松五郎伝』である。昭和10年代,読み物と言えば,エリートを対象とする純文学作品か,通俗小説,あるいは『キング』にみられる教化色の強い文章であったが,『富島松五郎伝』はそれらとは一線を画した,これまでにないタイプの小説であった。岩下本人は,自らの文学を「純文学」と定義していたが,『富島松五郎伝』は,「大衆文学」として中央文壇での注目を集め,直木賞の最終選考に残る。そこでは,『富島松五郎伝』が,面白い芸術小説か,芸術的な大衆小説か,という議論が巻き起こった。議論の末,受賞を逃した岩下だったが,『富島松五郎伝』は『無法松の一生』として映画化され,国民的映画の原作者として記憶されるようになる。しかし,岩下は『無法松』のイメージの独り歩きを終生苦々しく思う。
 本報告は,岩下の社会的軌道や作品の内容,当時の文学状況を照らし合わせながら,戦時下において,この地方文学者が引き起こした文学的インパクトについて説明する。

【著者セッション・内容紹介】
〈構造主義とは何か〉、時代や歴史のなかで
物語が産まれ、読まれる理由を問い下ろし、
〈構造主義〉以後の世代に手わたしたいと思う──

【本書の読み方について、一つの提案をしよう。
これは『源氏物語』をあいてにして、ぜんたいを小説となす
試みなのだ、と。─いや、『源氏物語』という物語じたいが、
そんな書き方をされているのではないか。】
......[はしがき]より

【......『構造主義のかなたへ』という本書の題はどう受け取られるのだろうか。もう古めかしいという感触に包まれてよいし、反対に「方法に時効はない」という確信があってもよい。私は言語学的にも、また思想的にも、構造主義と格闘したのだと思う。一九六〇年代から七〇年代にかけての、日本社会でのある種の空白期、停滞期に、世界の中心の発光源のようにしてフランス語圏から、構造主義およびその周辺の〝便り〟が暴力的に訪れて、パリ・カルチェラタンのバリケードはあたかもアルチュール・ランボオを襲ったパリ・コムミューンの再来のようにも思えてならなかった。なんと幼い日々の自分であったことか。
そこからかぞえても四十年以上という計算になる。】
......「キーワード集―後ろ書きに代えて」より