10.27.2014

第83回

秋も深まってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、11月きむすぽのお知らせをお送りいたします。
皆さま、どうぞふるってご参加ください。

日時:11月7日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟509教室
【著者セッション】

滝口明祥『井伏鱒二と「ちぐはぐ」な近代――漂流するアクチュアリティ』(新曜社、2012・11)コメンテーター:金ヨンロン



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【企画趣旨】
 今回の著者セッションでは、滝口明祥さん(大東文化大学)の『井伏鱒二と「ちぐはぐ」な近代――漂流するアクチュアリティ』を取り上げます。本書は、「井伏は常に具体的・歴史的な状況と対峙していた作家なのであり、その作品はそうした同時代コンテクストとの交渉の産物としてある」という観点のもと、ときに厳しく先行研究と渡り合いながら、従来の作家イメージの下に隠されていた、井伏文学の新しい可能性を提示した意欲作です。
また、本書は、「みすず」の2014年の「読者アンケート特集」でも、鶴見俊輔さんに取り上げられ、「まったく思いがけず手に取り、久しぶりに新しい才能に出会ったことを感じた。ゆきとどいた理解が、厳しく、そして井伏そのものへのすぐれた批評となっている」という高い評価を受けています。実際、「表象」の困難や「異種混淆性」へのこだわりという新たな機軸で、井伏文学の一貫した道筋を提示する本書の姿勢は、新しく、スリリングなものだと言うほかありません。

 今回は、同じく井伏や太宰を専門とする金ヨンロンさん(東京大学大学院)にコメンテーターをお願いしています。同時代のコンテクストを重視した読解という点で、お二人の研究方法は近接していますが、同時に力点の差異もまた存在するように思います。お時間のある方は、ヨンロンさんの最新のご論考である「閉ざされていく「幽閉」の可能性――井伏鱒二「幽閉」から「山椒魚」への改稿問題を中心に」(『日本文学』、2014年9月)もぜひご参照ください。ヨンロンさんのコメント、滝口さんの応答の後、全体での討論に移れればと思っています。

9.28.2014

第82回


すっかり涼しくなりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、10月きむすぽのお知らせをお送りいたします。
皆さま、どうぞふるってご参加ください。

日時:10月3日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟410教室
【著者セッション】
中田健太郎『ジョルジュ・エナン――追放者の取り分』(水声社、2013・11)
コメンテーター:山腰亮介、森田俊吾、大井奈美

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【内容紹介】
編集者、批評家、活動家、そして詩人…….
数多の顔をもつコスモポリタンにしてエジプト・シュルレアリスム運動の主導者、ジョルジュ・エナン。西欧諸国を渡り歩いた幼年時代、カイロの政治青年としての活動、ブルトンとの共闘と離別、そして祖国エジプトからの亡命—。詩篇を読解しながら波瀾万丈の生涯と思想の足跡をたどる。(水声社ホームページより)

7.21.2014

第81回(開始時間にご注意下さい)


第81回叙述態研

日時:8月1日(金) 「15時」から場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟504


【著者セッション】

石井弓『記憶としての日中戦争 インタビューによる他者理解の可能性』(研文出版、2013年)

書評者:岩川ありさ(東京大学大学院)

【企画主旨】
 叙述態研究会(きむすぽ)では、これまでも、戦争の記憶を伝達するということについて議論してまいりました。今回の著者セッションでは、石井弓さんの『記憶としての日中戦争
インタビューによる他者理解の可能性』(研文出版、2013)をとりあげます。

 石井さんは、本書の中で、「体験していない過去の戦争をあたかも体験したかのように語るということをどのように理解することができるか」という問いに答えようとします。日中戦争の記憶は、一方では、個別の記憶を抽象化した「戦争表象」として国民国家の中で共有されるのに対して、農村のような「顔の見える実体的なコミュニティ」においては、具体的な「語り」のかたちで人から人へと伝達されます。

 果たして、インタビュー調査を行う研究者は、「記憶する主体」と出会う中で、どのような位置からフィールドに参加し、「動的な戦争記憶」を記述することができるのか。今回の著者セッションでは、戦争を記憶化するメカニズムについて話しあうと同時に、他者の記憶を理解することの可能性と限界についても議論したいと思います。

【著者紹介】
石井弓:専門は、中国地域研究、オーラル・ヒストリー。2010年「記憶としての日中戦争」をテーマに博士号を取得。現在、東京大学総合文化研究科特任准教授。2009年には第6回太田勝洪記念中国学術研究賞受賞。中国山西省でのフィールド・ワークを中心にして、北京での調査も継続している。

6.30.2014

第80回


第80回叙述態研

日時:7月4日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟505教室
【個人発表】

藤田護「南米ボリビア・アンデスのアイマラ語とアイマラ語の口承文学の語り」


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【発表要旨】
 報告者は2009年度より南米のボリビア・アンデスでアイマラ語の口承文学の聞き取り調査を続けている。アイマラ語は、南米で、スペイン語とポルトガル語を除くと、ケチュア語とグアラニー語に次ぐ話者をもち、アンデス山地の高原部で約200万人の話者をもっている。

 アイマラ語には、情報源を区別しなければならない、すなわち自らの体験に基づくのか他から聞いた話なのかを動詞の活用として区別しなければならないという文法上の特徴があり、これは隣接するケチュア語とも共有される特徴であるが、さらにアイマラ語では引用を複雑に組み合せて語りを組み立てていくという特徴がある。

 そのような文法的側面の過度の強調は言語使用における自由を見逃すのではないかという批判がこれまでになされてきたが、実際にアイマラ語の物語りは変わりゆく現実に対して動的に適応・対応していくという性格をもつことは、これまでの報告者の調査からも明らかになっている。それは、話者が動詞の活用や引用を複雑に操り、複数の時代を手繰り寄せながら語っているからであり、また一見現実と切れた話でも、話を語り終えた後にコメントが挟まれたり、それに対する会話がなされたりすることで、現実とのつながりを確保し、現実を説明するための位置づけを獲得していくからなのではないだろうか。
 「口承文学」と「オーラルヒストリー」の間の区分は絶えず疑問に付されなければならないとしても、その二つの間を自在に動くかのようなアイマラ語の口承の語りの性質を理解するために、実際の話の展開を追い、原文と音声を参照しつつ、考察をすることとしたい。(藤田護)

6.16.2014

日本社会文学会春季大会

村上克尚さんからの告知です。
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 皆さま

 いつもお世話になっております。
今回は学会の告知をさせて頂ければと思います。 
今週の土曜日に東京学芸大学にて、日本社会文学会春季大会が開催されます。
金石範さんによる基調講演のほか、 きむすぽのメンバーである、金ヨンロンさんや林少陽さんのご発表もあります。
どなたでも参加可能ですので、ぜひお誘い合わせの上、足をお運びください。 どうぞよろしくお願いいたします。

 村上克尚
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 日本社会文学会春季大会「グローバルアジアと社会文学――歴史から未来へ」
 日程 2014年6月21日(土)
 場所 東京学芸大学 S410教室

 〈研究発表〉(午前9時30 分より)
 崔恵秀「「言」から「文」へ――中里介山「高野の義人」の改稿をめぐって」
 金ヨンロン「テクストを統御する暴力 ――井伏鱒二『谷間』を中心に」
 黒川伊織「戦後文化運動における朝鮮戦争の経験――新日本文学会神戸支部を中心に」
 梁禮先「日本プロレタリア文学の朝鮮・朝鮮人像から読む現在と未来」

 〈講演〉(13時より)
 金石範「文学にとっての歴史」(仮題)

 〈シンポジウム〉(14時より)
和泉司「国共内戦と日本、そのときの邱永漢――「長すぎた戦争」を中心に」(豊橋技術科学大学)
波潟剛「コロニアル・モダニティの射程――グローバルアジアの時代に」(九州大学)
林少陽「章炳麟とアナーキズム運動との関係――その「国家」論を中心に」(東京大学)
権赫律「一九二一~一九二二年における春園・李光洙の「親日」小考」(吉林大学)

日本社会文学会 http://ajsl.web.fc2.com/

6.04.2014

第79回

6月きむすぽのお知らせをお送りいたします。
今回は個人発表の回となります。皆さま、どうぞ足をお運びください。

第79回叙述態研
日時:6月6日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター、センター棟小研修室3A
http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html
【個人発表】
伊藤優子「「文学界」グループと中原中也の交錯――「六月の雨」まで」
平井裕香「恐怖を恐怖する言語―川端康成「針と硝子と霧」に読むジェンダーの編成」

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【発表要旨】
伊藤優子「「文学界」グループと中原中也の交錯――「六月の雨」まで」

 1934年6月号より再刊された雑誌「文学界」はいわゆる「文芸復興」を主導した雑誌として知られているが、その運動の中で小説・批評と共に詩の果たす役割の可能性が作家達により議論されていたことはあまり注目されていないように思われる。論議は「文学界」が文壇の中心雑誌へと移行していく過程で活発になり、そこには中原中也の知友小林秀雄・河上徹太郎がいた。「文学界」は中原中也の存在を「文壇」内に周知させる一転機として位置づけられているが、同人達が見る詩人像と見られる詩人の意識は必ずしも一致していない。
 発表ではまず、雑誌の「六号雑記」や「編輯後記」、誌上座談会から文学の危機的状況が共通認識として語られる一方で、新たな文学者が希求されていく様相を検討する。その中で中原中也は「文学界」グループが発見した詩人として誌面前景に登場してくる。
 次に、雑誌掲載評論「詩と其の伝統」が批評家、特に河上との応答によって書かれていること、両者の詩の概念が類似していることを確認する。これ以前から彼等の詩観には「対象と心象との距離」が重要な問題として共有されているのだが、それを実作として示したものが「六月の雨」ではないだろうか。こうした試みと若い批評家たちの思惑との交錯を通して、この時期の中原中也の仕事を発表媒体との関係で位置づけ直すことを目的とする。


平井裕香「恐怖を恐怖する言語―川端康成「針と硝子と霧」に読むジェンダーの編成」

 本発表の目的は、川端康成の「針と硝子と霧」(「文学時代」一九三〇年一一月)を、それを取り巻いている「文学」をめぐる共時的・通時的な言説編成を相対化しつつ読むことである。先行研究において繰り返し語られ、実体化されてきた感のある作中人物・「朝子」の〈狂気〉を、「作者」と「読者」が共犯的に[再]生産する意味として捉え直し、そのような意味生産のメカニズムを明らかにすること、と言い換えることもできる。「朝子」の言葉は、それを〈狂気〉として対象化することによって、またそのような対象化を可能にするために、「弟」「夫」「作者」及び「読者」の言葉が構築する閉鎖的なコミュニケーションに、ノイズをもたらしている。とりわけ、先行研究においては引かれることの稀であった、「朝子」が「おかあさん」に宛てて記した手紙として提示される物語世界内的エクリチュールは、母と娘を対話不可能な一体性の中に閉じ込めることによって「女」の〈狂気〉或は〈狂気〉の「女」を現出する、異性愛男性中心主義的な言語に抵抗している。そのような言説の争闘の場として、また「作者」と「朝子」の言葉が確たる境界を失していく過程として読まれるとき、「針と硝子と霧」は、「小説」を読む/書く行為に蔓延る「恐怖恐怖症」の徴候を炙り出すテクストとして顕れるだろう。
 ※本発表は、日本文学協会第33回研究発表大会(二〇一三年七月七日、神戸大学)における口頭発表「娘の言葉―川端康成「針と硝子と霧」及び「母の初恋」におけるジェンダーの編成」の内容の一部に、大幅な加筆・訂正を加えたものである。

4.23.2014

第78回



今回は、著者のお一人である橋本健二さんをお招きして、各所で話題の『盛り場はヤミ市から生まれた』の著者セッションを開きます。
書評をご担当くださるのは、東京大学助教の神子島健さんです。
今回の企画は、ヤミ市研究会のメンバーであり、本書にもご論考を寄せている、逆井聡人さんが中心となって実現しました。皆さま、どうぞふるってご参加ください。

第78回叙述態研

日時:5月2日(金)18時から

場所:国立オリンピック記念青少年総合センターセンター棟413教室
http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html


【著者セッション】

橋本健二・初田香成編著『盛り場はヤミ市から生まれた』(青弓社、2013年)

書評者:神子島健(東京大学大学院)


【企画主旨】
 今回の著者セッションでは社会学者の橋本健二先生(早稲田大学人間科学学術院教授)をお招きいたします。
 橋本先生はご専門の階級・社会階層に関する研究でご活躍の一方、昨年末に出版された『盛り場はヤミ市から生まれた』(青弓社、2013年)の編著者であり、ヤミ市研究会の代表者でもあります。近年、テレビドラマや映画等で頻繁に敗戦直後のヤミ市の風景が登場するようになりました。また、商店街の復興や再開発という都市計画の文脈でも戦後ヤミ市の由来や可能性を探るような例もあります。一方で、現在の日本の政治が、「戦後レジームからの脱却」を文句に「戦後」を消却しようとする態度を露骨に示しています。
 そのような現在の状況の中で敗戦直後のヤミ市をみることがどのような問題系を明らかにしてくれるのか、「ヤミ市」を学術研究の一つの場として改めて提示することにどのような可能性があるのか、そのことを中心に橋本先生に伺ってみたいと考えております。コメンテーターは、以前に当研究会で取り上げた『戦場へ征く、戦場から還る』(新曜社、2012年)の著者である神子島健さん(東京大学総合文化研究科国際社会科学専攻助教)に担当して頂きます。

【著者・コメンテータ―略歴(敬称略)】
橋本健二
1959年、石川県生まれ
専攻は理論社会学・格差社会論
著書に『階級都市』(筑摩書房)、『「格差」の戦後史』(河出書房新社)、『新しい階級社会
新しい階級闘争』(光文社)、『階級社会』(講談社)、編著書に『家族と格差の戦後史』(青弓社)など

神子島健
専攻は社会思想史、日本近代文学
著書に『戦場へ征く、戦場から還る』(新曜社)、小沢弘明・三宅芳夫編『移動と革命
ディアスポラたちの世界史』(論創社)、論文に「二重の不在―戦後と3・11後の死者について―」『批評研究』、「戦場の記憶と戦後文学」『中帰連』(全五回)など