7.20.2015


皆さま

 
猛暑の折ですが、お疲れになっていらっしゃいませんか。

来月、8月きむすぽはお休みです。

しばらくお目にかかれませんが、どうぞお元気で良い夏をお過ごし下さい。

以下、今後の予定をお知らせいたします。

 

***今後の予定***

第87回
9月4日(金)18時~
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター 教室未定

【著者セッション】
村上陽子『出来事の残響原爆文学と沖縄文学』(インパクト出版会、20157月)

コメンテーター:調整中

第88回
10月2日(金)18時~
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター 教室未定
【著者セッション/個人発表】調整中

 
第89回
11月6日(金)18時~
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター 教室未定
【著者セッション/個人発表】調整中

 
第90回
12月4日(金)18時~
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター 教室未定
【個人発表】
小長井涼:題目未定
コメンテーター:島村輝

第86回


叙述態研(きむすぽ)の皆さま

 

お変わりなくお過ごしでしょうか。

 

7月きむすぽのご案内を差し上げます。

どうぞふるってご参集ください。

 

日時:73日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟410教室

【著者セッション】

藤井貞和『文法的詩学その動態』(笠間書院、20152月)

コメンテーター:木村朗子、藤田護

 

なお、本書をめぐっては、「藤井貞和・山本哲士 特別対談」がYouTubeで公開されておりますので、

あわせてご案内いたします。



 

それでは、会場で皆さまにお目にかかれますのを楽しみに致しております。

 

***

 

内容紹介


物語や詩歌を読むことと、言語学のさまざまな学説たちとのあいだで本書は生まれた。
古典語界の文学を当時の現代文学として探究する書。
物語言語、詩歌のことばたちが要求する現実に沿って文法の体系的叙述を試みる。

【〈詩学〉は私にとり、ぜひ利用したい語である。poetics(詩学)と言えば、多くのひとがアリストテレス『詩学』を思い浮かべる。それでよいはずだ。広く劇詩(悲劇)や叙事詩が念頭にある。劇詩を念頭におけば能や浄瑠璃世界が視野にあるし、叙事詩のすえには軍記物語から物語文学までが浮上する。そういう世界的な広がりで見ることに遠慮しなくてよい。とともに、狭義の〈詩の文法〉というか、詩歌を成り立たせる詩的言語の動態へと、私としては、自分の創作家的関心からも、一歩も二歩も踏みいりたい。古典詩歌(古代歌謡、『万葉集』歌、『古今集』歌など)、連歌や俳諧、近代詩さらに現代詩は、日本語の詩としてアイデンティファイする(同一とみなす)ことができるはずだ。世界の詩や詩人たちの営為にふれてゆくために、日本語の詩から何が立ち上げられるか、ということでもある。】……はじめにより

 

 

著者紹介

藤井 貞和(フジイ サダカズ)


1942年東京都生まれ。東京大学文学部国文科卒業。現代詩の詩人。古代文学、言語態。立正大学教授、東京大学名誉教授。著書に『源氏物語の始原と現在』『深層の古代』『古典を読む本』『物語の方法』『物語文学成立史』『源氏物語論』『平安物語叙述論』『物語理論講義』『タブーと結婚』『日本語と時間』『人類の詩』『文法的詩学』、詩集に『ラブホテルの大家族』『遊ぶ子供』『大切なものを収める家』『神の子犬』『人間のシンポジウム』『春楡の木』ほか多数がある。

6.02.2015

第85回


叙述態研(きむすぽ)の皆さま

 

この5月はずいぶん蒸し暑い日が続きましたが、

皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。

 

6月きむすぽのご案内を差し上げます。

どうぞふるってご参集ください。

 

日時:65日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟510

【著者セッション】

木村朗子『女たちの平安宮廷--「栄花物語」によむ権力と性--』(講談社、20153月)
コメンテーター:本橋裕美

 

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内容紹介(講談社BOOK倶楽部より)

 

本書は、平安時代の摂関政治がどのように権力を生み出していったか、そのしくみについて女たちの後宮世界からみていくものです。
平安時代の宮廷サロンが生み出した文学作品に、「歴史物語」とよばれるジャンルがあります。男たちが漢文で記す「正史」にたいして、女たちの使う仮名であらわしたものです。できごとを羅列する無味乾燥な「記録」にたいして、できごとを活き活きと語る「物語」です。
平安宮廷の表舞台は摂関政治に代表される男の世界ですが、周知のようにその根底を支えているのは男と女の性の営み、天皇の閨房にありました。摂政関白という地位は、天皇の外祖父が後見役になることで得られるものですから、大臣たちは次々と娘を天皇に嫁入りさせ、親族関係を築くことに必死でした。
そうした要請から、摂関政治は結果として一夫多妻婚を必然としました。後宮に集う女たちは、天皇の寵愛を得るために、そして天皇の子、とりわけ次代の天皇となる第一皇子を身ごもるために競いあいました。
天皇の後見と称して、その権限を乗っ取るようにして発揮する最大の権力が、天皇と女たちの情事に賭けられていたというのは、ずいぶんと滑稽な話ですが、「歴史」はそういうことをあからさまにしたりはしません。あくまで男同士の権力闘争として書くわけで、むしろその本質であるはずの、いくつものサロンの抗争や女たちの闘争は「物語」にこそ明らかになるのです。
その恰好の例が『栄花物語』です。作者は歴史的事実をあえて無視したり操作することで、女であること・生むこと・母となることの連なりに走る裂け目こそが、男たちの世界をつくってはやがて掘り崩し、そうした変化が新しい権力構造を生みだしていくことをはからずも明らかにします。

著者紹介:

木村朗子(きむら・さえこ)
1968
年横浜市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程修了。博士(学術)。現在、津田塾大学教授。専門は、言語態分析、日本古典文学、日本文化研究、女性学。著書に『乳房はだれのものか日本中世物語にみる性と権力』(新曜社 、女性史学賞受賞)、『恋する物語のホモセクシュアリティ宮廷社会と権力』『震災後文学論あたらしい日本文学のために』(ともに青土社)などがある。

12.20.2014

【案内】「クィア理論と日本文学―欲望としてのクィア・リーディング―」

木村朗子さんからのお知らせです。ぜひご参加ください!
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立命館大学国際言語文化研究所主催
国際コンファレンス
「クィア理論と日本文学―欲望としてのクィア・リーディング―」

※事前予約不要・入場無料

日時: 2015年1月9日(金) 13:00-17:30
    2015年1月10日(土) 10:00-18:00
会場: 立命館大学衣笠キャンパス創思館1階カンファレンスルーム
    

基調講演
キース・ヴィンセント (ボストン大学)
「日本文学をクィア・セオリーで読む:漱石を例に」
〈対談〉 キース・ヴィンセント×上野千鶴子(立命館大学特別招聘教授)

ゲスト・スピーカー
〈招待講演〉 クレア・マリィ(メルボルン大学)

木村朗子(津田塾大学)
アンドリュー・ガーストル(SOAS)
呉佩珍(台湾政治大学)
黒岩裕市(フェリス女学院大)

発表者
スティーブン・ドッド(SOAS)
道下真貴(立命館大学大学院)
宮田絵里(立命館大学大学院)
岩本知恵(立命館大学大学院)
飯田祐子(名古屋大学)
泉谷瞬(立命館大学大学院)
リゴ・トム(パリ第4、第7大学大学院)
フィリップ・フラヴィン(大阪経済法科大学)
ハナワ ユキコ(NYU)
トゥニ・クリストフ (東京大学)
(以上、発表順)

開催趣旨
 1990年代に発足したクィア・スタディズはまさしくアクティヴな学問的思考の方法である。社会学を中心とする研究の方向は、ジェンダー研究とクロスしながら発展していったが、文学研究においては文学作品を素材として提供はするものの、理論的な取り込みについては不十分であったといわざるを得ない。クイア・リーディングが極めて有効に作品読解の重要な鍵となっていくであろうという予測を糧として、クイア・リーディングの多面的な可能性を日本文学というテキストに照射してみたいと考えている。それはおそらくは日本文学研究の新しい方向を模索する試みとなって、本国際コンファレンスの基本的な立場を形成していくことになるであろう。

http://ritsnichibunkai.blog.fc2.com/blog-entry-58.html

12.01.2014

第84回

早いもので、もうすぐ一年も終わりですね。
今年最後のきむすぽのお知らせをお送りいたします。

今回は個人発表と著者セッションの2本立てで、開始が「17時」と早くなっております。
どうぞご留意ください。
なお、研究会終了後は、忘年会を予定しております。
ぜひたくさんの方々とお目にかかれますことを願っております。

日時:12月5日(金)17 時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター(センター棟412教室

【個人発表】坂田美奈子「アイヌ口承文学の解釈学へむけて:散文説話におけるモチーフの役割について」

【著者セッション】中谷いずみ『その「民衆」とは誰なのか――ジェンダー・階級・アイデンティティ』(青弓社、2013・7)コメンテーター:北山敏秀


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【 個人発表 要旨】坂田美奈子「アイヌ口承文学の解釈学へむけて:散文説話におけるモチーフの役割について」


 ミルマン・パリーとアルバート・ロードによるフォーミュラ理論は口承文学における定型句、モチーフ、話型などの単位に着目して口頭伝承独特の構成法を見出し、その後の研究に多大な影響を与えた。しかしながら一方で、口承文学のこれらの構成単位の扱いについては、文学的解釈の点であまりに機械的であり、物語を矮小化しているという批判も同時にあった。これに対しジョン・マイルス・フォーリーは、フォーミュラ理論に読者受容論を掛け合わせることによって、口承文学の美学的読解を可能にする道筋をつけた。ボスニアの叙事詩やホメロス、ベオウルフの分析を通して、定型句や話型が単なる韻律あわせの道具や決まり文句なのではなく、テクスト外の意味を指示するサインであって、そのサインを受け取った聞き手がその意味を頭の中で展開し、受容することによって最終的に物語が完成するのだと述べている。口頭伝承の形式は、したがって無味乾燥な決まりごとであるどころか、サインの指示を理解しさえすれば、それによって物語がより豊かに奥行きを増す仕掛けになっているというのである。このような働きをフォーリーはtraditional
referentialityという言葉で表している。
 本報告では、以上のようなフォーリーの提起を念頭におきつつ、アイヌ口承文学における頻出モチーフや話型に着目しながら、物語を読む試みを行いたい。モチーフや定型句、話型などの構成単位を単なる形態論で終わらせるのでなく、それらを通して物語を読むためには、モチーフが指示するものをあらかじめ知らなければならないが、アイヌ口承文学の場合、それ自体が探求すべき最初の課題となる。本報告では、いくつかの頻出モチーフを事例に、それらを共有する物語群を重層的に読みながら、特定のモチーフがどのような意味の広がりをみせるのか探ってみたい。

【著者セッション 企画趣旨】

今回の著者セッションでは、中谷いずみさん(奈良教育大学)の『その「民衆」とは誰なのか――ジェンダー・階級・アイデンティティ』を取り上げます。本書は、1930年代の農民文学、戦争文学、綴方教室、および50年代の国民文学論、生活綴方運動、女性の平和言説などを対象として、「ある人びとが「民衆」「大衆」「人民」など〈被支配〉側に属する存在として名指され、呼びかけられる際に生じるさまざまな力学」を問題化した著作です。
「はじめに」や「終章」でも強調されるように、本書が批判する「表象の政治」は決して過去の問題ではなく、均質で、無垢(無知)な「民衆」を表象=代理し、その「対抗性」に依拠しようとする身振りは、現今の劇場型政治に、あるいはそれを批判しようとする側にまで共有されてしまっています。この意味で、本書についての議論は、自ら2014年の現在を問うものに展開していくのではないかと考えています。
今回は、大江健三郎をご専門とする北山敏秀さん(東京大学大学院)にコメンテーターをお願いしています。最新のご論稿である「大江健三郎の「自殺」する肉体――「セヴンティーン」「政治少年死す」という投企」(『日本文学』、2014年9月)が示しているように、北山さんのご関心も、大江健三郎という作家の表象が、社会、そしてときには本人によって、同時代の文脈を忘却=抑圧することで立ち上げられてしまうことの政治性を批判的に検証することにあるように思います。北山さんのコメント、中谷さんの応答を経て、全体での討論に移れればと思っています。

10.27.2014

第83回

秋も深まってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、11月きむすぽのお知らせをお送りいたします。
皆さま、どうぞふるってご参加ください。

日時:11月7日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟509教室
【著者セッション】

滝口明祥『井伏鱒二と「ちぐはぐ」な近代――漂流するアクチュアリティ』(新曜社、2012・11)コメンテーター:金ヨンロン



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【企画趣旨】
 今回の著者セッションでは、滝口明祥さん(大東文化大学)の『井伏鱒二と「ちぐはぐ」な近代――漂流するアクチュアリティ』を取り上げます。本書は、「井伏は常に具体的・歴史的な状況と対峙していた作家なのであり、その作品はそうした同時代コンテクストとの交渉の産物としてある」という観点のもと、ときに厳しく先行研究と渡り合いながら、従来の作家イメージの下に隠されていた、井伏文学の新しい可能性を提示した意欲作です。
また、本書は、「みすず」の2014年の「読者アンケート特集」でも、鶴見俊輔さんに取り上げられ、「まったく思いがけず手に取り、久しぶりに新しい才能に出会ったことを感じた。ゆきとどいた理解が、厳しく、そして井伏そのものへのすぐれた批評となっている」という高い評価を受けています。実際、「表象」の困難や「異種混淆性」へのこだわりという新たな機軸で、井伏文学の一貫した道筋を提示する本書の姿勢は、新しく、スリリングなものだと言うほかありません。

 今回は、同じく井伏や太宰を専門とする金ヨンロンさん(東京大学大学院)にコメンテーターをお願いしています。同時代のコンテクストを重視した読解という点で、お二人の研究方法は近接していますが、同時に力点の差異もまた存在するように思います。お時間のある方は、ヨンロンさんの最新のご論考である「閉ざされていく「幽閉」の可能性――井伏鱒二「幽閉」から「山椒魚」への改稿問題を中心に」(『日本文学』、2014年9月)もぜひご参照ください。ヨンロンさんのコメント、滝口さんの応答の後、全体での討論に移れればと思っています。

9.28.2014

第82回


すっかり涼しくなりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、10月きむすぽのお知らせをお送りいたします。
皆さま、どうぞふるってご参加ください。

日時:10月3日(金)18時から
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟410教室
【著者セッション】
中田健太郎『ジョルジュ・エナン――追放者の取り分』(水声社、2013・11)
コメンテーター:山腰亮介、森田俊吾、大井奈美

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【内容紹介】
編集者、批評家、活動家、そして詩人…….
数多の顔をもつコスモポリタンにしてエジプト・シュルレアリスム運動の主導者、ジョルジュ・エナン。西欧諸国を渡り歩いた幼年時代、カイロの政治青年としての活動、ブルトンとの共闘と離別、そして祖国エジプトからの亡命—。詩篇を読解しながら波瀾万丈の生涯と思想の足跡をたどる。(水声社ホームページより)